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一輪挿しなどに挿した花を愛でる習慣は、古くは平安時代あたりまで遡り、たとえば枕草子などの文献資料からたどることができる。当初は既存の器を利用していたが、後に専用の花器が製作されるようになった。
華道としては、室町時代中期、京都六角堂の僧侶により確立された。代々池のほとりに住まいしていたことから「池坊 (いけのぼう)」と呼ばれ、それがのちに流派の名前となる。家元、宗家らによって江戸時代中期にかけて立花(たちばな、りっか; 立華とも書く)と呼ばれる型が大成されていった。その後、江戸中期から後期になるとそれまでの上流階級・または武家階級のものから広く庶民のたしなみへと変化し、生花(しょうか)(せいか)を中心に広く愛された。とくに未生流系、古流系、遠州流系、専慶流などの流派は技巧の達人・名手が多く登場し、多くの流派にわかれていくきっかけとなる。江戸末期から明治初期の頃、世界的なニッポン文化ブームにより華道・いけばなが欧州に紹介され、ヨーロッパのフラワーデザイン(w:Floral Design)にラインアレンジメントの手法として影響を与えた。国内ではやがて花姿は時代の流れに即し、なげいれ花、盛花(もりばな)などさまざまな型が編み出された。
江戸時代以降、池坊から枝分かれして多くの流派が誕生した。2005年3月現在、その数は日本いけばな芸術協会に登録されているだけで392流派ある。
Ikebanaaustellung in der U-Bahn von Kyoto

記事元:Wikipediaより引用