【第132話】

第131話について


今回はちょっとチェルトとは違います。

60000人記念で第118話~第131話をupしたところ

upしてわずか3時間で

これは、違うぞ!

という意見が多数寄せられました。

競馬の馬のお話ですが、正式名所は「サイレンススズカ」

といいまして、飼育費だけのことで殺されたわけではないようです。

このことをちょっとお詫びしようと思います。


それらのメイルのいくつかをここで紹介させていただきますね。


トッシさん

いつも、楽しみに拝見させてもらってます。

特にDQ3日記が大好きです。

今回の後書きで書いていた馬の事で悲しい勘違いを

されていたので一言書かせていただきます。

あの事件は、馬が走れなくなったので毒殺をしたのではなく、

馬の為に行った行為なのです。えっ?と思われると思いますが、

馬は骨折とかしてその足を使用(歩く等)しないと、

その足の血行が悪くなって、その足が腐るそうです。

昔、『テンポイント』という馬も今回と同じように

骨折して毒殺をしなくて手術で骨をつけたそうですが、

やはり血行障害の為その足が腐り苦しみながら亡くなったそうです。

そういう苦しい思いをさせるくらいなら、

安楽死という処分は妥当だと思います。

大変、かわいそうな事ですが・・・・・・

でも、他の競走馬も何らかの理由で走れなくなったら

研究用に使用される事も度々あるそうです。

その事を聞いた時は自分も悲しかったのですが・・・・

色々、長々と書きましたが骨折した馬は

飼育費がかかるので処分するのではなく、

馬の為を思って毒殺すると言う事知ってもらいたかったから。

人間という生き物は自分勝手ですよね。

毎日、保健所に運ばれて処分される犬や猫の数を見たら・・・・・


M365さん

60000人記念更新ご苦労様でした。


で、今回のチェルトに関して一言あるのですが。

武豊騎手の乗っていた競走馬サイレンススズカは、

薬殺処分になりましたが、

決して飼育費がかかるからという理由ではありません。

馬は、骨折すると、死んでしまうのです。

普通では想像もつかないことでしょうが、

馬の場合、4本の足のうち1本でも折れると、立てなくなります。

立てなくなると、ねてりゃいいんじゃないかと思うのですが、

そんな簡単には済まないらしく、

なんちゃらっていう、ひづめから腐っていく病気にかかります。

その病気はとても苦しく、馬は苦しみながら死んで行かざるをえなくなるのです。

そこで、骨折をした競走馬はすべて安楽死という方法を取られるのです。

まぁ、結局は人間様の始めた娯楽が原因なのですが、

安楽死を選ばざるをえなかった厩舎の方々は、

我が子を殺す思いだということも事実なのです。

ですから、役に立たなくなったから殺されるのではないのです。

サイレンススズカに限らず、その他の故障して走れなくなった馬も、

厩舎の人や多くのファンは、もっと生きてほしいと心から願っています。

ただ、それは叶わぬ願いなのです。


今回のチェルトでは、その辺りが少し抜けているようなので、

指摘させてもらいました。

チェルトの言っていることや、

安田さんの考えていることは決して間違いではありませんし、

僕も人間のエゴイズムには業を煮やしています。

しかし、競馬に関しては一事が万事そういうわけではないのです。

その辺りだけ知ってもらえればうれしいのですが。

とまぁ、えらそうなことを言ってきましたが、

僕もチェルトを毎回楽しみにしている読者の1人なので、

今後の作品にも大いに期待しています。

執筆がんばってくださいね!

めざせ神龍です。


kuzuさん

殺されちゃったのは飼育費がかかるだけじゃないんです。

足を骨折するというのはウマにとって死活問題なのです。

あれだけの体重を支える足ですから、

一本でも折れれば立つことさえままならなくなります。

すると、よくは覚えてないんですけど、

他の足とかにも影響が出てきたりして

ウマ本人(?)にとっても悪いことばかりらしいのです。

だからって殺していいというのは人間のエゴと言えなくもないですが、

でもよく考えてみてください。

野生の馬が骨折して動けなくなったとしたら、

果たして生きていくことができるでしょうか?

競馬関係者って馬を愛している人たちばかりだと思うんですよ。

牧場の経営者もそうだし、馬のオーナーもそうだし、

騎手もそうだし、競馬ファンも、、、、

サイレンスズカを毒殺せねばならなかったときの、

関係者の悲しみの大きさは、計り知れなかったでしょう。

ペットの死以上の悲しみがそこにあったのではないでしょうか。

、、、、動物をペットとして飼う行為そのものが、

人間のエゴだといってしまえばそうなんですが、、、

ただ欧米諸国の人たちの

ペット達を捨てるくらいなら

殺してしまった方がペットのためだという考えは

僕には理解できませんけれどね。

犬たちは野生化して生きていくことができるわけですから。

馬が足を骨折するというのは、

本当に馬の生命にかかることで、

だから安楽死もやむを得ないと思います。

人の手で殺すか、自然に死ぬのかの違いだけで、

彼らに死が待ちかまえているのは変わらないのですから。

ただ、この論理でいくと、

人間の場合の安楽死が本人の意思に関わらず可能になってしまうんですよねー。

安楽死が人間には完全には認められていない現在では、

安楽死をさせた医者は

たとえ患者が本当に治る見込みが

なかったとしても殺人罪で起訴されちゃいますが、

それで馬の安楽死は罪にならないのはおかしい気もするなあ。

僕の意見では、本当に治る見込みがないのなら、

家族の同意が得られれば安楽死は認めていいと思うのですがね。

もちろん本人に生きる意志があればそれは話は別ですが。

生と死の問題は本当に難しいですね。

僕は生命は生態系において平等であるべきだと思います。

そして人間は食物連鎖の頂点に立つ生物で

あるというのは間違いないと思います。

っていう観点からいくと、、

蚊を叩いて殺すのは、人間という生物が蚊という生物を

生存の敵とみなしたから殺したわけで、可。

肉牛を殺すのは、食べるためだから、可。

家畜を飼うのも、食べるため、生存のためだから、可。

日本がクジラを捕るのも同じ理由で、可。

(アメリカが明治時代以前にやっていた

脂を取るための捕鯨なんてのは言語道断ですが)

剥製をとるために狩猟をするとかいうのは言語道断。

ってところでしょうか。

発展途上国で野生動物が密猟されるのは、

ある程度仕方がないことだと思います。

それでそこに住む人たちが

生きていくためのお金を得られると言うのなら。

問題は先進国側にあります。そういうもの(密猟品)を買うなっての!

で、結局、何が言いたかったかというとですね、

「サイレンスズカの件は仕方ないと僕は思いました」ということです。

途中で脱線して生命に関する

僕の価値観を延々と述べてしまいましたが、、、、^^;;

#こうだから[理屈っぽい]って

言われるんだよなー。理系のサガだわ。^^;;

長くなってしまってすみませんでした。


みなさん、いろいろ感想ありがとうございます。

朝起きたら、すごい数のメイルが来ていたので、

びっくりしてしまいました。


どうやら、理由は飼育費だけではなく、

それは馬のためにしていること(ただし、人間から見た視点で)

ということがなんとなくわかりました。

ちょっと説明不足、理解不足の所があって申し訳ありません。



私が今回のところで一番書きたかったのは

「あまりに人間中心の世界になっている」

ということを今回、書きたかったんです。


そもそも、馬は野生の動物です、いや、馬以外でなく、他の動物も。

それを、捕獲して人間の欲望に使われるという

その憤りを書いたつもりなんですが、


では?

馬を捕獲するな

と言われれば、それは今の世界では無理な話です。


ですけれど、自分中心に世界が回っているという考え方が

あまりに強く、そして自然に行われていると言うことを

人一人ずつがもう少し自覚した方がいいのでは?

ということを今回の作品で伝えたかったのです。

そのことが、今回の作品でいろいろな人に伝えられて、うれしかったです(^^)


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