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[ カテゴリー » まじめ話 ]

カテゴリー » まじめ話 August 27, 2001

堂々と受け止める心 ID:998881200


先日、話しそびれた話をしようかと思う。

会社で、私より遅く入っていた中途社員で私と年も1個しか違わないため
仲良くさせてもらっている人がいる。

それで、先日(先週の木曜日)、部会というものに出ていて、席に座ったのだ。
そこは、三人の席が並べられいて、連れ立った人を奥にすすめようとしたのだが、
どうしても、その人は、自分の左に座って欲しいといわれたので、
それで、その人の左側に座った。


「私、右耳、聞こえないんですよ」


突然そういわれ、私は、耳を疑った。

どういうことだろうか。
耳が悪いということなのだろうか。

「もう小さいころからそうなんですけれど、右耳がまったく聞こえなくて」

普段から、いつも仲良く話させてもらっているし、
実はその人にはこのHPも教えてある。

普段から接している人が実は、耳が聞こえない人だと知ったら
どういう気持ちになるだろうか。

その人とそのあともいろいろ話したが、
小さい頃から、ずっとそうだったため、
片耳でしか、音が聞こえないのが普通だと感じているため、
むしろ、両耳が聞こえるということが想像つかないと言っていた。

人間って・・・・強いよ。

小さい頃からの環境で、それは仕方ないとうけとっていてはいるが、
しかしやはり、つらいこともあると思う。

それを堂々と受け止める心というのかな。

— posted by midilin @ 12:00PM | Comment (0) | TrackBack (0) 

カテゴリー » まじめ話 August 22, 2001

時と変化 ID:998406000


時が・・・・・人を・・・・・変えるか・・・・


人間が、成長する要素、影響される要素。

いろいろあると思う。
何からか物を与えられ、何からか影響され、何からか、学ぶ。


また人間が変わる要素

これもいろいろあると思う。

自分が知っている人、どんなに理解している人だと思っていても、
人間が完全に理解しあえることは、難しい。
であるが、限りなく理解しあえることは可能であると思う。

時をはさむことにより、共有できない時間が発生する。

その共有できない時間に、人間はそれぞれの経験をつみ、
成長する要素、もしくは、影響する要素がはさまれ、
人を変える。

と、同時に、相手から見ると、相手からこっちが、
共有できない時間があるわけで、自分も変わっているように見える。

人は出会いと別れを繰りかえし、
共有できる時間と共有できない時間を上記のようなことで繰り返し、
次に出会うときに、新たな人格を形成するように見える。



表現。
言葉と心。
裏と表。


表現。言葉と心。

自分の思うことを、言葉にするということはすごく難しいことだと思う。
文字に表せない感情。
それを人は、顔の表情や、声のトーンでうったえかけるのかもしれない。


人には表と裏がある。
裏とは、その人の純の心。

表面上見せている表の姿と、心の奥底で思っている裏の純の姿。
なかなか、心の奥底に眠っている、裏の姿を人に出すのは、難しい。
そして、裏の心を他人に見せたくないものだ。

人間が意識的に経験で変えられる要素というのは、
表の部分であると私は思っている。

考え方、信念、
これらの要素は、表なのか、裏なのかという定義は難しい。
が、考え方、信念をもって行動する部分は表であるため、
本当の裏というのは、「変わる」というより、
以前のものを経験をつんで、「重厚になる」ものだと思う。


そして、裏の純の心の姿を知っている人が、
裏を隠していると、不思議に思う。
人は、それを、長い時が人を変えたというが。

それは、そうではなく、相手にとって、自分は、
裏を見せてくれるほどの人間ではありえなかったのかと。

時は・・・・あまりに表を変えすぎていた。
しかし、それは、本当に時のせい?
裏はかわらないと思う。

しかし見せ掛けの表しか見えない。
裏の純な心が見えない。
それは、本当に時のせい?
それとも、支えてあげられなかった人間の器が小さかったせい?

今は、自分を支えるものがある、
相手も支えてくれるものがあるはず、

もう互いは必要ない存在なのかもしれない、
しかし、時をはさんでも、”純な裏”は変わらない、
絆、間柄はかわらない、そう思う。
今でもそう信じている。

かなり久々のマジ日記、抽象的に書いてみた。
大事であった人への一人へのメッセージ。
届くといいな。

— posted by midilin @ 12:00AM | Comment (0) | TrackBack (0) 

カテゴリー » まじめ話 August 01, 2012

ちょっと待て!twitterやfacebookに子供の写真を掲載する親達への警告 ID:1343768038


自分の子供はとてもかわいい。だから他人にも見てもらいたい、

mixiやfacebookなどのSNSでプロフィールに写真を掲載する方、
自分の日記に子供の写真を掲載する方、どこにでも見かけます。

でも、ちょっと待ってください!
子供の写真を掲載することを深く考えたこと、ありますか?

今回、書くきっかけになったのは以下の記事です。
まずは下記の記事を読んでいただきたい。

twitterやfacebookのプロフィール写真に自分の子供の写真を設定している人って馬鹿なの?
http://ryouchi.seesaa.net/article/205493116.html


言葉は多少過激な文章になっていますが
言っていることは概ね正論に思えます。

以下一部引用します。

自分は写真を晒すのは嫌だけど子供の写真ならいいの?

理屈がさっぱりわかりません。

自分のプロフィール画像に子供の写真を設定している人はいるが、妻または夫の写真を設定している人は多分いないだろう。これは妻または夫の写真などを掲載していると、配偶者から怒られるからではなかろうか? 妻または夫が嫌だと思うかもしれないので、やらないってことでしょ? その考えが何故子供には適用されないのか? 自分が生産者だから何やってもいいと思っているのか? 配偶者の人格は尊重するけど子どもの人格は尊重しないの?

自分が嫌だと思うことをなぜ人にやってしまうのか?
子供には嫌という権利がないと思っているのか?
子供の許可を得てプロフィール画像を掲載している人ってホントにいるのか?

プロフィール画像に子供の写真を設定している人で「子育てとは・・・」「子供の意見を尊重して・・・」とか呟かれても全く説得力が皆無である。

これを読んで、そうだよなと納得させられました。

子供は親にとって、大人になるまですべてを預かる立場にありますが
小さい子供にも一人の人権があります。

例えば、大人になった自分の写真を親が勝手に
ネット上でばらまいていたら
勘弁してくれよ!
せめて許可とってくれよ!
って思いますよね。

家族旅行の写真が掲載されていて、親は悪意がなくても
自分の写真が知らないところで家族全員の写真が掲載されるのは抵抗がある方、
たくさんいますよね。

60過ぎた自分の父親が、35過ぎた自分のむさい(笑)顔をプロフィールで使って
いろいろtwitterやmixi、facebookで語ったら、イヤですよね。
常に自分の顔が他人にさらされるわけです。

小さい子供には、ネットということがわからないからといって
親がそれをやったら自分も同じことをやっているのですよね。

blogやSNSは歴史が新しいので、
写真を掲載された子供が、大人になって判断できるようになって
意見を言った、という例が少ないから、
きっと今まで問題にもならなかったのではないでしょうか。


自分の子供がかわいいから、見て欲しいと言う気持ちは
親なら誰しもがあるものかと思います。

私自身、子供の写真は顔を隠して掲載したことはありますが
上記の記事を読んで、特に顔写真を掲載することへの
認識を改めるべきだと感じました。

特にそのまま子供の顔を出している方は
さらに注意をして頂きたいと思います。

私が子供の写真を掲載することを「子供の気持ち」という観点で
考えたことは以下のことです。


・SNS(mixi、facebook、twitter、google+など)のプロフィールは
 一般公開されるものが多いので子供の写真は使わない
・子供の写真を日記など掲載するときは、子供が写真の判断の可否ができる年齢であれば
 子供にまず許可をとるべきである
・子供がネットの危険性などを理解できない場合は、掲載しない。判断できる年齢まで待つ。
 もしくは写真を掲載する日記の公開範囲を完全にオフラインの友達限定にすること
 (こちらは微妙ですが、面識がある親しい友人にアルバムを見せる、という感覚であれば許されると思います)


オンラインの人は信用ならないと言っているのではありません。

私自身、オンラインの方々にいろいろお世話になりましたし
信用できる方もたくさんいます。

とはいえ、危険性が高いのも面識がない人の方が高いというのも事実です。
悪用されても、何も文句が言えません。
何かあったら、親の責任です。

また、危険性だけではありません。
子供の気持ちです。

今はわからないかもしれません。
子供が自分の写真をパソコンで見て、うれしいーって無邪気に言っているかもしれません。
ですが、後にわかることになります。

子供の写真を見せ合うことで、素敵なコミュニケーションが生まれることはあります。
親は自分の子がほめられたら嬉しいです。

しかし、子供は親の”モノ”ではありません。
一人の人間です。
親が子供にする行為についてすべてが許されるわけではありません。


それでもあえて、子供の写真を、子供の確認せずに掲載してしまう親。


自分の目先のコミュニケーションを優先しますか?
それとも将来の子供の気持ちを優先しますか?


blogやSNSでプロフィールや日記に子供の写真を掲載するときは、
今一度、親が自分中心に物事を考えていないか、
子供の立場を自分に置き換えて勝手に写真を掲載されていることを考えたら、どう思うのか、
深く考えるべきでしょうね。

— posted by midilin @ 05:53AM | Comment (12)

カテゴリー » まじめ話 January 26, 2010

父母が入院する ID:1264453173


以前から、今週母親が腎臓が悪いので入院することが決定していたのですが
先週末、父親が倒れて、救急車で運ばれ入院しました。


病名は敗血症。
体の膿が血液をかいし、全身に回る病気のようで
病院に運ばれたときは、意識もなく
体温は34度、血圧が点滴を10リットル近くうってもあがらず
命の危険があったので病院の医師から、「家族を呼んでください」
ということでした。


いつも朝5時半には起きているので、朝その電話が母親から聞いて
びっくりしました。


母曰く、木曜日の夜の10時過ぎに倒れて、金曜日の夜中の2時くらいから
家に電話をかけていたらしいのですが、
寝ていたため、それに気がつきませんでした。


幸い、お医者様の看護のおかげて、一番危険な状態は抜けましたが
お見舞いに行ったところ、父親がもの凄く老け込んでいて
顔には酸素マスクのようなもの、それと肝臓、腎臓には管を通している状態でした。
肝臓からは、血と膿が大量に管から出ており、とても痛々しい状態でした。


敗血症になった原因は不明なのですが、
肝臓にあった膿が、全身にまわり、ショック状態になったとのこと
(後でネットで調べてみたところ、敗血症ショックと呼ばれる状態で
 死亡率が40%と書かれていました)


腎機能停止で、尿は腎臓から管を通して直接とっていて、
肝臓には大きな膿と、小さな膿が点在しているため、
まずは大きな膿を直接とるため、管を通して、直接膿を取り出し
小さな膿と体中にまわった菌は、抗生物質を投与して、
まずは6週間入院するということでした。


他には心臓の周りに水がたまり、水分の摂取が厳しいこと
それと肺炎に近い状態で、レントゲンをとると肺のまわりが
かなり白くなっており、酸素マスクをつけていないと呼吸ができないため
肺の薬をこれから投与する、とお医者様かから説明をうけました。


薬によって、肺がよくなればよいのですが
もし治療中悪化した場合は、酸素マスクをとりやめ
人工呼吸器をつけるという説明もされました。


肺の影響もあり、現在はまだモノを食べることもできず、点滴による栄養しかとれないようで
一命はとりとめたものの、まだ危険な状態で
何かあればご連絡します、ということでその場は返ってきました。


昨日は母親も入院したので、両親が二人とも入院しています。
仕事や自分の家庭もあるので、つきっきりというわけにはいきませんが
しばらくは時間があれば、実家に帰り、両親の様子をみたいと思います。
早くよくなることを心より祈るばかりです。

— posted by midilin @ 05:59AM | Comment (4) | TrackBack (0) 

カテゴリー » まじめ話 January 13, 2006

「目標の立て方」と「努力」と「実行力」 ID:1137157972


◆「目標の立て方」と「努力」と「実行力」


ホームページ(パステル・ミディリン)の更新は1月4日から始めたのですが
ご挨拶が遅くなってしまいました。


皆さん明けましておめでとうございます。
今年もパステル・ミディリンをはじめ、皆さんに楽しんでもらえるよう
サイトの運営をしていきますので、よろしくお願いいたします。


●去年立てた目標はほぼ達成


昨年、自分の中でいくつか立てていた目標があったのですが
振り返ってみるとほぼ達成できたので
去年は良い年を過ごせたと思いました。


今年も自分の心の中で決めている目標がいくつかあるのですが
去年から目標を実現するために、目標の立て方を考えました。


●目標の立て方


1年の始めに目標をたてることってありますよね。


しかし、その目標をたてても、なかなか実行にうつせなくて
年末振り返ると結局目標を達成できないことってありますよね。


私が考えた目標の立て方は以下の方法です。


(1)目標を数値化する
(2)短い期間で区切る目標を別に設定する
(3)優先順位を明確にする


私が去年から実行したのは、以上の方法でした。


1年を通じた大きな目標を実現するために


まず(1)具体的な数字で目標を表す、
次に(2)短い期間、私の場合は、大きな目標を実現するための、「1月ごとの目標」を作りました。


具体的には、月の最後に、その次の月にやり遂げる目標を列挙します。
(私の場合は、PCのデスクトップにメモ帳で箇条書きで書いておきました)
翌月に入ったら、そのメモ帳を見て、目標を実現するために努力をします。



●(1)(2)数値化・短い期間で目標をたてると、どうなるか?


数値化・短い期間で目標を決めると、どのようなメリットがあるのでしょうか?


(A)プランをたてやすく、実行にうつしやすい
(B)方向転換がしやすい


これらが大きなメリットだと私は思います。


(A)プランをたてやすく、実行にうつしやすい


目標をたてて、実現できないその多くは、
「実行力の無さ」と「プラン(計画)が立てられないこと」
が挙げられると考えられます。


1年間という大きな期間で、目標をたててしまうと、
最初はいいのですが、
では、何をすればよいのかというのが漠然として、実行に移せないことがあるのですよね。


また数値化にしていないと、やはり目標がぼやけます。


例を挙げましょう。


ダイエットです。
来年は今年より痩せるぞ!
という目標をたてるとします。


しかし、何実際に何kg痩せようという目標がないと、
うやむやになってしまうことがあります。


そこで目標を数値化します。→(1)


1年で5kgやせようという、目標にしましょう。


しかし、目標の設定が「これだけで終わってしまう」と
食べ物を気をつけようとか、運動をしようとか、漠然とした行動しか考えられず
「目標のための行動がうやむやになってしまう」→「目標のための行動が実行できない」
ということに陥ってしまうことがあるのですよね。


また、年末(例えば11月)振り返って、全然やせてない
あと、1月で5kgやせなきゃ!
そういう状態に陥ってしまいます。


そこで、1月ずつの目標も同時にたてるとします。→(2)
1年5Kgを落とすとすれば、1月は5kg÷12=0.41Kg
落とすことになります。


では、0.41Kg落とすにはどうしたらよいのか?
具体的なプランを立てます。


このように、月単位の目標を作ると、大きな目標を12で割ることで
実行するためにプランが練りやすいというメリットがあります。



別の例をあげましょう。
貯金です。


1年間で100万円貯金するとします。


目標の再設定が、これで終わってしまうと、毎日食費や、生活費などで余ったものを
貯金したとしても、実際に年末に確実に100万円の貯金がたまっているかというと
このプランでは、計画が曖昧となっているので、厳しいです。


上記のダイエットと同じように、1月ごとの目標をたてます。
12で割ると、100万円÷12=83333円の貯金を1月に貯金する必要があるわけです。


では、83333円を具体的に貯金するには?
その計画をたてるわけです。
例えば、食費カットで2万円、光熱費カットで5千円、副業で4万8千円・・・など。


このように、12で割ると、目標をやりとげるためのプランが見えてくるため
目標をやるための具体的に何をすればよいのかがわかりやすくなりますよね。



この「数値化+期間を区切る」考え方って仕事では当たり前のことなのですよね。


商売で言えば
1年間で5000万円の売り上げで、本売ることを目標として任されたとします。
5000万円も本を売るにはどうしたらよいのか、
いきなりこんなことを任されたら途方にくれるでしょう。


そこで、1月辺りの目標を立てます。
1月辺りの目標は、5000万÷12=416万円です。


1月416万売り上げるには、さらに細かく設定すれば、
1日30日としたら、416万÷30=13万8千円となるわけです。
(休日を入れないのであれば、その分はマイナスして)


では、1日に13万円うりあげうために
どの商品を売ればよいのかとか、
20日のう、15日販売、5日は販売・営業
のように考えれば、計画がたてやすくなります。


私はこの考え方を趣味や他のことへの目標にも適応してやっています。



(B)方向転換がしやすい


(数値化)特に短い期間で目標を決めると、
方向転換がしやすいというメリットがあると私は思います。


1年間という漠然の期間だと、総合的に1年の結果をみて
目的が達せられたかどうか、みますよね。


しかし一月ごとに目標を決めて、月の終わりで結果がわかると
現在目標に関して行ったことが良いか悪いかが途中でわかります。
(数ヶ月・数年単位でないと結果が見えないこともいっぱいあるとは思いますが)


良い場合は、そのまま前の月の計画を参考にしながら
次の月の目標も計画して


前の月の目標が達せられない場合は、
方向転換・計画を練りなおして次の月を成功して
出先月の不調を取り戻すようにするわけです。


これを繰り返すことで、一年を漠然とした目標をたてるより
「目標を成功する確率を高める」わけです。


●(3)優先順位を明確にする


日々の仕事や生活がすることってたくさんありますよね。
その普段の生活のやることと、目標に
私は優先順位をつけました。


日々やることばかり多くて、目先のことばかり実行していると
目標にちっとも近づきません。


そこで日々やることでも、どうしてもその日にやらなければいけないことと
後回しにも影響がでないものを分けます。


例えば、携帯のメールとかもそうでしょね。
私は今だ携帯電話を持ってないので、生きた化石と呼ばれているのですが(笑)
携帯のメールがきて、その日にすぐに返事を出さなくても、さほど影響はないわけです。


上は一例ですが、その日にやらなければいけないことと、
後にまわしてもよいものがあったら、
後にまわしてもよいものを少し遅らせて
目標を実現する方に時間を使います。


日々やっているけれど、「目先のことを捨てる勇気」も
大きな目標を実現するには必要なことだと思うのですよね。


●目標をやり遂げるには一気にやろうとしても無理


目標をたてて、実現できないその多くは、
その人の「実行力の無さ」と「プラン(計画)が立てられないこと」
が挙げられると思うという話を上で書きましたが
1年の最初の目標というのは、1年を通じて行うものです。


1年間かけてやろうといものを、直前に振りかえって
年末で一気にやろうとか、そんなことをしてもたいていは無理です(笑)


目標をやりとげるに必要なこと、
それは事前の計画が必要です。(なんか、金融会社のCMのキャッチフレーズみたい)
さらに、私が最も必要だと思うことが2つあります。


●実行力


当たり前すぎる話ではありますが、
「実行」しないと「目標は達成できない」のですよね。


机上でいくら考えても、知識がいくらあっても
実行しなければ、成功はしないし、目標にも近づかないのです。


HP製作や、それに付属するノウハウなどを別ページで私は公開していて
それに共感を頂いた方で、
以下のようなご相談・ご質問をうけたことがありました。


「現在、一般的に言われている手法は、■と■がありますが
 私も●●したいのですが、なかなか実現できません。
 どのようにしたら、実践できるのか教えてください」


なんて質問を去年うけました。


実際にその方のHPを拝見すると
その手法を「一部実行しただけで、ほとんど実行していない」のですよね。
それではできるわけありません。


「知識として理解しただけで、行動した気分になっている」のです。


例えば、ホームページのアクセスをあげる手法があるとします。


「Aという方法、Bという方法、Cという方法が一般でアクセスがあると言われている」
とします。


「A,B、Cの方法は知っています。
 しかしHPのアクセスは上がりません、どうしたらよいのですか?」
とご質問・ご相談する方がいらっしゃるとします。


そしてご質問・ご相談を実際にHPを拝見すると
「Aという方法、Bという方法、Cという方法の”どれか”を行っている方がほとんど」で
「Aという方法、Bという方法、Cという方法の”すべて”を行っている方がいない」のですよね。


「Aという方法、Bという方法、Cという方法」が一般的に効果があると言われても
「Aという方法が効果がある」のか
「Bという方法が効果がある」のか
「Cという方法が効果がある」のか
それとも「すべてガセ」なのか
「ある条件によって、Bのみ効果がある」のか
「AとCが組み合わさって初めて効果がある」のか
その情報の真偽は自分で実施して、試してみないと本当のことは誰にもわからないのです。


「Aという方法、Bという方法、Cという方法の”すべて”を行っても」
結果が出ず、無駄に終わるかもしれません。


しかしそれを時間の無駄とは思いません。


「Aという方法、Bという方法、Cという方法の1つを行って結果が出ない」
人と
「Aという方法、Bという方法、Cという方法の”すべて”を行って結果が出ない」
人とでは
「結果が同じ」でも「差がある」と思います。


●経験と自信と予測


それは「経験」です。
目標が達成できなくても、実践して学んだことは経験として力になるのですよね。
そして、言うことにも説得力がでてきます。


「人から聞いてこうだと思う、調べてみてこういうことが書いてあった」
というのと
「私は実践してみてこうだった」
というのではまったく説得力が違うのですよね。


経験があると、発言にも自信が有りますし、人を説得する力も違います。
話しを聞いていると、
それが「人から聞いたことを話している」のか
「自分で実践したことを話している」のかすぐわかります。
”説得力が違います”から。


また、同じ結果でもやっている人とやっていない人では
次に同じ目標にチャレンジしたときに、「土台」が違います。


失敗しても、実行を試みて失敗した方は
この方法とこの方法はダメだった、
では、これはどうかな?
という「予測」がつくようになりますよね。


「予測」をすることにより、何もしていないときより
次回実行時に「成功・目的」に近づけるのです。



●目的を達するには、繰り返しと・・・


目的を達するには、


計画→実行→結果→検証→予測→計画→実行・・・


この繰り返しになるのかなと感じます。


うまくいく人とうまくいかない人の差は
これを一回で終わらせるのか
繰り返し行えるのか、
また繰り返しが早く行えるのかの差ではないかと思うのです。


ものごと、最初から成功すれば嬉しいですけれど、
実際には人生、そんなに甘くないですよね。



●時間なくてできなかったというのは、「逃げ」


よく、時間がなくて〜〜できなかったという言い訳を聞きますが
これって、その人の意志の弱さを表す逃げの言葉だと思います。


もちろん、すべての場合とはいいませんし、
仕事や家庭の事情などで実際に時間がとれなくて、
物事ができないことって多々あると思います。


また目的が達っせすることができなかったことは誰しもあることですし
仕方ないことだと思います。


しかし、「自分が決めたこと」「人から一度引きうけたこと」について、
時間がなくて〜〜できなかった、という”言い訳”は
世の中には成功している人がいるわけですし
時間はすべての人に1日24時間と平等なのですから
これって目的が達することができない
その人の意志の弱さを表す「逃げ」の言葉だと感じます。



●成功・目標を達せられるのは「努力」


目的を達するには、少し上で書いた


計画→実行→結果→検証→予測


これを何度も失敗しても繰り返すことができる「努力」こそが
時間がかかり、遠回りでも
目的を達すること(目的に近づけること)になるのではと私は思います。


去年、私は自分で言うのもなんですが、
努力をしました。本当に努力をしました。
だから、自分のたてた目標が達成できたと思っています。


●今年も、努力を惜しまず必死にやる


稀に運や、タイミングでうまくいった
成功しちゃったということはあるかもしれませんが
そういうのって長続きしませんよね。


継続した成功をおさめるには、やはり努力が必要で
地道な「計画→実行→結果→検証→予測」を
一人でも黙々繰り返せる根気が必要だと思います。


努力こそが、目的に近づき、成功する方法だと思います。


努力しても報われない、目標が達成できないことは多々人生で有りますが
成功する人は必ず何かしらの努力をしていますよね。


今年も努力します。コツコツと努力します。努力しつづけます。
自分が納得できる目標にたどりつけるように。

— posted by midilin @ 10:12PM | Comment (26) | TrackBack (1) 

カテゴリー » まじめ話 November 23, 2003

HP7年目の想い ID:1069513200


11月初めての日記が今日ということで
久々の日記になってしまいましたが、
決してミディリンをやる気になくなったとか面倒くさくなったとかで
日記を書かないとかそういうわけではなく
その逆で、今絶好調でパステル・ミディリンの更新に全力を尽くしているところで
更新記録を見ていただけるとわかるのですが
11月の更新は今のところ全日更新です。
その前の月とか、先々月とかもほとんど更新をしています。

ファミコン魂やクイズ、DQ5企画なども立ち上げたりしていますが、
今、パステル・ミディリンとしては一番軌道に載っていて
自分自身も一番気持ちよく更新しているところです。

HPを更新する時間に割り当てられる時間が少なくなった一方
その分、集中力が増し、短時間でネタと更新には力を入れてやっています。

パステル・ミディリンの運営も丸6年運営を続け、
今年の11月で7年目に突入したわけですが
振り返ると、パステル・ミディリンを運営していていろいろ今までありました。

今日はちょっとマジメな話をします。

このころの話を現役で知っている方が今の読者さんにどれだけいるかはわかりませんが
パステル・ミディリンは最初、チェルトとMIDIの二本柱で運営をして
MIDIに関してはメロディーを提供してアレンジというネタが、他のどこのサイトにもなく
それがウケ、MIDIサイトとしてそこそこ有名になりました。

しかし運営、3,4年後、JASRSAC問題があり、ほとんどのMIDIを廃止、
読者さんも、一時期1/3ほどくらいまで落ち込んだ時期がありました。

しかし、残った読者様の協力や応援、
そして音楽としての発表の場をオリジナルと著作権が切れたものというもので
引き続き提供し続け、他のネタなどもあわせて、がんばり続けたことにより、
読者数も以前の全盛期を上回り、100万アクセスも越え、今があります。

先ほど、「気持ちよく更新できる」ということを書いたのですが
そう思うのが、今が一番自分がHPを運営していて楽しい、そう思えるのです。

HP運営者って一番楽しいときって、自分が更新したことにより
その反響があるときが嬉しくてやりがいがあると思うのですが
今がそう感じるんですよね。

やっぱ、反響なきゃ、運営していてつまらないし、
つまらないものしか提供できない自分もイヤだし
だから反響があるものを作りたいと思ってがんばるわけですから。

しかしHPを長く運営を続ければ、やる気がない、だるい、疲れたっていうときもあるし
仕事もあるだろうし、運営の時間もとれない、
更新できない、運営できないっていうときあると思うんです。

だからどうにかしなきゃいけない、でもできない、どうする?
その辺を試行錯誤しながら、時には苦しみながら運営も続け、
場合によっては閉鎖っていうこともあるわけです。
私も今までそう思ったこと、何度もありました。

そのたびに、HP運営者の一人として自分が思うことなのですが
何かを言い訳にしてそこで辞めてしまったら、俺、負けなわけだよなぁ・・・・
って思うことにしています。

自分は何を目指して運営をしていたのか?
初心を思い出すことって大切だと思うんですよね。

自分はいったい、何を目指していたのか。
目指すモノがないのなら仕方ないけれど
目指すモノが有るのなら、それに向けて突き進み、
自分の情熱を燃やす、
時間的に更新できないのであれば、規模を縮めたりしてもいいから
自分がもっとも情熱をかけているコンテンツのみでも続けるとか
そういうことをHP運営でやり続けることが必要であり、
そこに成功があり、自分の情熱をわかってくれたり、共感してくれる人がいると思うんです。

久々の日記で何を書こうか迷ったのですが
HP運営7年目に突入して、今まで継続できた想いみたいのを漠然と書いてみました。

— posted by midilin @ 12:00AM | Comment (0) | TrackBack (0) 

カテゴリー » まじめ話 August 23, 2003

お通夜 ID:1061564400


急遽、実家の近くに帰りました。

ちょっと前に高校時代の親友にあったときに
お父さんがガンで入院していて
後、余命二ヶ月ということを聞かされてかなりびっくりしていました。
非常に危険な状態だということはその時に聞かされていて
一昨日、それから二週間ばかりしか立っていないのですが
亡くなられたという急な知らせが来たので
すぐに実家の方の神奈川県に週末帰りました。

高校時代の親友のお父さんが、お亡くなりになられて
お通夜に出るため、喪服を持っていなかったので
急いで黒いネクタイと香典袋を購入して
黒目のスーツを着て神奈川県に帰りお通夜に出て
ご家族に挨拶をしてきました。

その亡くなられたお父さんとは直接会ったことはないのですが
お母さんとは、電話では何度となく話したことがあり
ご焼香をあげるときに一番最初に親友のお母さんが
ご焼香をあげて、その後大きい声で泣いてしまうところは
こちらまで悲しみが伝わってきました。

高校時代の友達ということは当然同世代なわけで
そのお父さんが亡くなったというのは
自分たちにとっても複雑な思い出はあるのですが
そのお父さんは、とても健康でたばこもお酒もやらなかったのに
5月に急にガンを宣告されて入院された後、
喉と肝臓のガンがあり、
喉は手術すれば助かったかもしれなかったのですが
肝臓の方は転移が早くどうにもならない状態で
死を待つばかりだったそうです。

こういうとき、親友にはどうやって声をかけてあげればいいんでしょうね。

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カテゴリー » まじめ話 February 05, 2003

夢と現実と二重人格 ID:1044414000


今日の朝は寝覚めが悪かったです。
すごくイヤな夢を見て、父親が突然病死をする夢で
夜中の4時くらいに目がさめました。
涙がとまらなくて。
夢の内容は詳しくは忘れてしまいましたが
うちは自営業を営んでいるので、
突然の父親の死に、お店をどうするかとか
残った家族をあつめて(お店のこととか)
現実的なことを話したりしたのですが
目がさめたときは、夢でよかった・・・
と本当に思いました。

今までに人の死は何度かありますが
自分の実の親が亡くなったときというのは
夢であっても、すざましく衝撃でした。
そのあとまた夜中寝るとまったく同じ夢を見て、
8時頃目がさめて、2度も同じ夢をみたので
起きたときは、これが現実なのか夢なのか
一瞬判断つかなかったくらい混乱してしまいました。
やだな・・・・こんな夢。

でも、二重人格とかよくいいますけれど
夢と現実が、こういうふうに一瞬区別がつかなくなるような
ことと紙一重なんじゃないのかな。

二重人格というのが、どういうふうに精神分析をされているのか
私は専門家でもなんでもないのでわからないですが、
夢と現実の判断がつかなくなるような
不安定な状況に身を置いているときとか
そういうふうに陥ることがあるのではないかと少し思いました。

— posted by midilin @ 12:00PM | Comment (0) | TrackBack (0) 

カテゴリー » まじめ話 June 25, 2002

生まれつきの病気 ID:1024930800


トップページにも書いてあるのですが
明日(水)の19:00〜あさって(木)の15:00まで
ほぼ丸一日、Justnetのメンテナンスのため、
ミディリンにアクセスができなくなりますのでご了承くださいね。

今日の朝、一人の病気の少女の夢をかなえるというのをTVでやっていました。
どういう病気かっていうのはちょっと忘れてしまったのだけれど、
14歳の少女で生まれつき体の抗体に異常があって、すごく高熱とか出やすく
学校にいくことができなくて、外を普通に歩くこともできず、
寝るときは酸素を吸入しないといけないという大変重い病気のようだ。

また、数年前の高熱が元で、記憶を保持することができなくなり、
次の日になると前の日に起こることが記憶ができなくなってしまって
そのため、前の日にあったことをすべて、紙に残しておけないという
本当にかわいそうな女の子の話で

その特集は、体に不自由な子のために
夢をかなえて、生きる気力を与えるという目的をしたボランティア団体が存在して、
すでの40人以上の夢をかなえてきてあげた団体があり、
今回、その少女の夢、「イルカと一緒に泳ぎたい」という夢をかなえてあげるため
外で歩くこともままらないけれど、でもその子の夢をかなえるため、
沖縄のイルカと一緒に泳ぐことを実現させた特集が組まれていた。

私の周りにも、同じ年くらいでありながら
生まれながらにして耳が聞こえない人や
ガンに侵されながらも、一生懸命生きている人が知り合いにいるけれど

1つは、本人の立場から考えてどのようにそのつらさを克服するか
どのように考えることができるのか、というのは
よく考えることではあるけれど
もう1つは、その子をもった親の気持ちはどうなのだろうと
と思った。

自分は大丈夫、自分の子だけは大丈夫って
人間思うものだと思うけれど
もし現実でそういうことが起きたらどうなるだろう。

自分の子供が、そういう障害をもって生まれてしまったとき
親は本当に愛情を持ってその子を育てられるか?
頭の中で予想するのと、また実際に起きたのでは
まったく違うことだと思うけれど
それぞれ考えてもらいたい内容の1つだと思う。

— posted by midilin @ 12:00AM | Comment (0) | TrackBack (0) 

カテゴリー » まじめ話 May 08, 2002

サイト閉鎖について ID:1020783600


GWあけ翌日から終電帰りはこたえます。
頭痛と吐き気にうなされながら空腹にバッファリンを飲んで
晩御飯食べる時間もとれなく終電まで仕事をしていたのだけれど、
(四週連続終電帰りに突入)
普段は終電帰りでももう慣れているので大丈夫になってきたのだけれど
頭痛だけは我慢できなくて、久々の頭痛でつらかった。

先日、とあるサイト様からページを閉じますという
メールをいただき、それを読んでいたのだけれど
管理能力の限界などから閉鎖をしたということをおっしゃっていた。
非常に残念なことである。

サイトを立ち上げたときはサイトを閉じることなど
まったく考えていないだろうけれど
いろいろな理由でサイトを閉じることってあると思うのです。

プライベートの忙しさなどの理由からサイトを
閉じることなどあるとは思うのだけれど、
そういう場合はしかたないのかもしれないけれど、
ただ1つ思うのが
サイトを閉じたりすると読者様から、サイトを閉じないでほしかったですとか残念です、
などそういうことを言う人がいるのだけれど。

それはそう言ってくれてうれしいと思う反面、
逆に、サイトが閉じるまでROMっていった読者が何で今頃そんなことを言うの?
とも思うのです。

サイトを閉じる理由には、プライベートの忙しさ以外にも閉じる理由はあるけれど

なぜ、サイトが立ち上げっているときに、
サイトを応援してあげなかったのかと。

サイトを閉じてしまってからそんなことを言っても遅いんですよね。

もし自分の好きなサイトがあるのなら
一生懸命読者さんは応援するべきだと思うし
私もHPを運営する身としてそういう人の気持ちはわかるけれど
HP管理者というのは読者から元気をもらって運営をするわけで
普段ROMっている人がそのときになって何かを言っても
あなたは本当にページを見ていたの?
もし見ていたのならなぜ、サイトがあるときに
応援してあげなかったの?
と思われても致し方ないと思うのです。

ページを見ている人はアクセス数に比例して
その大半がROMっている人は多いと思うのだけれど
サイトを閉じる前に、そういう時こそ常連という読者が支えてあげなければいけないと
と私は思うのです。

こういうことを起こるのは読者の受け身的なことがあると思う。
サイト運営者はページを運営して、それを公表、
読者はそれを読むものかもしれないけれど、
「サイト運営者は更新することが当たり前」
「読者も当たり前のように読む」

そういうふうに読者さんが思っていると
運営者側もやる気をなくすことがあるという気持ちがわかるのです。

サイトというのは、読者と運営者が一緒にやっていって作っていく
それがホームページだというのが私のHPの理念で、

読者様も掲示板などの足跡を残すときはそれなりの時間を割いて書き込み、
サイト運営者も、それ以上に膨大な時間を使ってサイト運営などに使っているわけではあり
(だから私は人に時間がなくて●●できませんでしたと言われるのも言うのも好きではない。
 それはみんな一緒でその中から時間をやりくりをしているわけだから)
ROMっている読者が当たり前のように、サイトに更新されているものを見て
そして見るだけで帰ってしまう読者を見れば
それはサイト運営者から見ると気持ちよくないと思うんですよね。

本当にあなたはそのサイトに残って欲しいのであれば
なぜ読者は努力をしなかったのか?
そう思わずにはいられない。

私は自分の気に入ったページには必ずメールを出している。
それがHP運営者ではなく、別ページの一読者としているときも当たり前なことだと思っているし
ネットをはじめた5年前からしていることであり、
たとえ忙しかろうが、その運営者の人に自分が運営をしてもらいたいという以上、
その運営している人にこれからもページを運営してもらいたいから
応援のメールや感想や掲示板カキコなど欠かさず書いている。
(無論今でも)

それが、私が自分が”読者”であるときの、当たり前のことだと思うのだけれど、
(それとも私だけの価値観だろうか?)
今の読者って、そういう当たり前のことができない人は確かにいるのは事実だし、
完全に受身でサイトを見ることしかできない人は確かにいるよな、思うことはある。

ミディリンは読者さんの層は応援もいただけるので、まだいいけれど、
(その数に比例してROMっている読者さんも多いけれどね)
でもロムっている人が後になって、サイトがなくなってから、
やめて欲しくなかったとか、残念ですとか言っても、
管理者側から見ると、今更なにを・・・と複雑な思いだというのがよくわかるのです。
あなた(読者)は運営をしているときに、いったい管理人さんに何をしてあげたのかと。

HPとは、管理人がHPを作って
それをただ読者が見るだけのものではないのです。

読者が一生懸命応援して、それでも管理人さんがやめてしまったのなら
それは仕方ないことだと思うけれど
管理人あっての読者、読者あっての管理人だと思うのです。

私自身も昔、パステル・ミディリンの運営をやめようかなぁ、と思ったときに、
暖かい読者さんの声でやっぱり運営を続けようと思ったことがあるので、
そういう気持ちはわかるのです。

HP運営者には今回のことは共感できる人もいらっしゃるかもしれないし
読者は、自分が好きなページがあれば、運営者というのはそういうふうに思っていることもあると思うのだが
自分が見ているお気に入りのHPがあるのであれば、
自分がそのお気に入りのHPの読者であるのなら、
読者は運営者からコンテンツを楽しませてもらっている代わりに、
読者は運営者に何を与えてあげることができるのか、
それぞれ一人一人が考えてもらって実行に移してもらいたいものです。

そういうことを読者一人一人が実行に移せないようだと
あなたのお気に入りのサイトはなくなってしまってしまうかもしれませんし
なくなったあと、ROMっている人がどうこう言っても、運営者の方は今さら何を?
と思われても仕方ないと思います。
(普段顔を出している人がそういうことを言うには逆にそのHPへの熱意を感じる言葉だと思うけれど)

その方からのメールを拝見してHP運営者の視点、読者の視点から考えたことでした。

後ほどその方にはメールをお出ししようかと思います。

— posted by midilin @ 12:00AM | Comment (0) | TrackBack (0)