-想い-




「……お母さん!お母さん!!」
遠ざかって行く母親の姿を追い、リディアは懸命に走った。
だがその距離はなかなか縮まらない。
『さようなら……リディア……』
リディアの耳に微かな声が届いた。
「お母さんがいなくなったら、私はひとりぼっちになっちゃうよ!!」
リディアの瞳に涙が溢れる。
『あなたは一人ぼっちじゃないわ。あなたには、幻界のお友達……それに……』
母親の姿が更に離れて行く。
「イヤ!行っちゃだめ!」
伸ばした手が空を切る。リディアはバランスを崩して倒れた。
『信じるのよ、リディア……』
薄らいでゆく意識の中に、母親の最後の言葉が響いた。

リディアは見覚えのない部屋の中で目を覚ました。
「気がついたようだね。ここはカイポの宿屋だ」
ベッドの側に、見覚えのある漆黒の鎧を纏った騎士が立っている。
「………!」
この人がお母さんを……。
リディアは、騎士から視線をそらす。
「僕はセシル。……君の母さんは僕が殺したも同然……、許してくれるわけはない……。ただ、君を守らせてくれないか……」
セシルの表情は、兜に覆われて見る事はできない。しかし、その声には何か思いつめているような響きがあった。
この人……くるしんでる……。お母さんのドラゴンのことも何も知らなくて……。でも……。
リディアはミストで起こった惨劇を思い出す。
穏やかで平和だった日々が一瞬で壊れたあの時の事。
やっぱり……この人がこわい……。
漆黒の兜に漆黒の鎧。リディアは、何よりセシルの姿が恐ろしかった。
リディアは毛布を被り、セシルに背を向けた。
その反応を見て会話を諦めたのか、セシルはリディアのベッドから離れた。
カシャン。
小さな金属音がする。セシルは兜と鎧を外しベッドの上に放った。
リディアは仮面の下の素顔を見ようと、少しだけ顔を毛布から出した。
銀色の長い髪に緑色の瞳。それに整った顔立ち。
……素顔はやさしそう……。
リディアの警戒心が少しだけ緩んだ。
バタン!
ドアが勢いよく開かれた。大勢の兵士が部屋の中に雪崩込んで来る。
セシルはリディアを庇うようにして立った。
「見つけたぞ!セシル!」
赤い軍服を着た指揮官らしき男が、兵士達の中から進み出た。
「その子供を渡せ!ミストの者はバロンにとって危険な存在」
「待ってくれ!バロン王は……」
「その陛下の命令だ。大人しくその子供を渡せば、許して下さるそうだ」
「……外で話をしよう」
セシルは剣を持ち、鋭い視線を兵士たちに向けた。
「いいだろう」
軍服の男は薄く笑い、兵士たちを連れて部屋を出た。
「……大丈夫。君を危険な目に遭わせたりしないから」
セシルはリディアに優しく微笑んだ。
宿屋の外で行われるのは話し合いなどではない。
リディアにもその事はすぐに分かった。
「………」
何か言いたい事がある筈なのに、言葉が出ない。
パタン。
ドアが静かに閉じられた。
ぜったいにもどってきて!セシル……
外から聞こえてくる激しい金属音を遮る為、リディアは耳を塞ぎ、目をきつく閉じた。

リディアの肩に優しく手が置かれる。
恐る恐る目を開くと、目の前にセシルがいた。全身に傷を負い、返り血を浴びたその姿が痛々しい。
「……ごめんなさい。私のせいで……」
「違う。謝るのは僕の方だ。……それも謝って済むような事じゃない……」
セシルは目を伏せる。
……この人くるしんでる。体のきずより心のいたみで……。
私はどうすればいいの?お母さん……
『信じるのよ』
夢の中での母親の言葉をリディアは思い出した。
はじめてこの人を見たとき、とてもこわかった。
……でもちがうんだよね。たいせつなのは、こころ……。目にみえるものじゃない。
「……でも守ってくれた」
リディアはセシルに笑顔を向ける。
……まずは信じることから……。
「私……リディア」


―END―

パステル・ミディリンのトップページに戻ります