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近年では数を減らし続けている駄菓子屋には、昭和初期から中期頃までは大抵、もんじゃ焼きの鉄板があった。昭和20年代は物資が欠乏していたため、単にうどん粉を水で溶き、味付けしただけのものが多かったが、昭和30年代も中頃をすぎると、キャベツはもちろん、切りイカなど具の種類も増えていった。お金に余裕がある時は、駄菓子屋で売っている、餡子玉や干したイカ等を上に乗せて食べていたが、何と言っても、もっともポピュラーなトッピングの材料は、ラメックなどのラーメン菓子であった。
このようにもんじゃ焼きはかつては下町を中心とした子供達に親しまれていたが、近年は、食文化の変遷から子供達の食べ物としてのもんじゃ焼きが遠のいてしまった。しかし、最近では東京の下町地域の伝統的な食べ物として、そのターゲットが観光客やサラリーマンなどに代わり、大人の酒のお供として供されるようになったが、かつての全盛期に比べるとやはりその数は減っているといえる。もう一つ原因を挙げるとすれば、価格に原因がある。一杯あたり1000円前後と原価を大幅に上回る価格設定であるので、子供達にとっては高すぎ、元来のおやつ代わりという域を脱してしまっている為でもある。他方で1988年生まれの若いタレントである新垣里沙がもんじゃ焼きへのこだわりをテレビで幾度も熱く語るなど、若い層の間での人気も決してなくなったわけではない。

記事元:Wikipediaより引用