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黒川温泉は口コミやネットで広がり、様々なメディア媒体を通して、今でこそ最も人気のある温泉地の一つまでに成長した。その歩みは次のとおりである。 時代を辿れば、江戸時代までに巡る。
やまなみハイウェイまで
黒川温泉は、もともと山あいのひなびた湯治場であった。旅館の経営体も農家兼業が多かった。
再興の契機となったのは、国民保養温泉地※の指定とやまなみハイウェイの開通であり、交通アクセスの改善によって一時は盛り上がりを見せたが、客を引き留める魅力に薄れ、再び客足が遠のいてしまう。
1964年(昭和39年)10月のやまなみハイウェイの開通により一時的に入込客が急増した(ちなみにハイウェイ開通は東京オリンピック開幕の一週間前)。農業等異業種からの参入も含めて、現在も営業している旅館のいくつかがこの前後に開業した。
しかし、その「効果」も長くは続かず、ふたたび閑古鳥が鳴く温泉地へ逆戻りした。寂れに寂れ、温泉街の存続さえ危ぶまれていた。
やまなみハイウェイ後の低迷期
昭和53年頃から旅館への養子縁組やUターンで若者が入り始める。ただ、この時期は将来の展望が開けていたわけではなく、休日以外はお客らしい客はなく、不安を抱えていた。当時、温泉地でありながら湯を楽しむ客よりも宴会客中心であり、旅館主の最大の仕事は九州各地へのバスのハンドルを握ってのお客の送迎であった。
昭和58年、ふもと旅館の松崎氏が現職に反旗を翻す形で南小国町長選挙に出馬したが、落選。松崎氏は失意のうちに亡くなったが、後に尾を引くことになった。
露天風呂に活路
新明館の後藤哲也氏は、当時まだ旅館経営の実権は握っていなかったが、人々に「癒し」と「くつろぎ」を求めたいというニーズ、自然の中で開放されたいという欲求があることを見抜き、それには露天風呂が最も適していると確信を持つ。一人露天風呂を作ろうと決意。旅館敷地内の山肌に向かい、洞窟風呂の製作に着手する。
もう一つは樹を植えたこと。作り込んだ日本庭園ではなく、野の山を再現しようとした。
やがてこれが評判になり、新明館は盛況となる。しかし、当時、他の旅館主の受け止め方は「あそこは立地がよいから・・・」という程度の認識であり、依然宴会客中心であった。
こうした盛況を見て、「いこい旅館」の婿養子が、後藤氏に教えを乞う。(婿養子ならではのフットワークのよさとカメラ店を経営していた経歴から、気軽に聞くことができたのが幸いしたといわれている)
昭和58年6月、「いこい旅館」に女性専用露天風呂を開設、「美人の湯」として女性に評判になる。以後、各旅館に露天風呂の開設が相次いだ。
湯めぐり手形というヒット
客を引き留め、リピーターを確保できる、黒川温泉のセールスポイントは何かを摸索した結果、候補として挙がったのが露天風呂と田舎情緒であった。また、単独の旅館が栄えても温泉街の発展にはつながらないと考え、温泉街一体での再興策も練られるようになった。その他、様々な案が浮かび上がっては消え、試行錯誤の連続であったが、1983年から入湯手形による各旅館の露天風呂巡りが実施される。もっとも、この企画も大々的なPRを行わず、後は口コミによる観光客増加を待つのみであった。また、この頃は修学旅行生も頻繁に受け容れており、手頃さも売りにしていた。そういった地道な活動の結果、今に見る隆盛に漕ぎ着けたのである。
総ての旅館の協力のもと、「入湯手形」により、日帰客も含めて、何処の露天風呂も入れるという仕組みは、画期的であった。この企画が大ヒット、話題となって、黒川温泉が人気温泉地として飛躍するきっかけとなった。今や黒川温泉といえば、「入湯手形」だが、その誕生のきっかけは次のとおりである。
昭和60年7月、組合で野沢温泉を視察、外湯めぐりにヒントを得る。
一軒のみどうしても露天風呂が作れない旅館があり、「共生」を理念とした湯めぐりの発想が沸く。
昭和61年「入湯手形」をスタート。ただ、旅館組合でも確たる見通しがあって始めたわけではない。実際、開始当初は「手形」が捌けず、各旅館に割り当てて引き取ってもらうことすら考えた。
同年秋頃から全国的に秘湯ブームとなり、次第に軌道に乗った。
昭和61年12月の熊本日日新聞の広告企画で、熊本県内でブームになった。この時に、それまでそれぞれの露天風呂に「○○の湯」という愛称をつけることにした。
昭和62年2月、個々の旅館の広告看板を撤去、マスコミを招き報道してもらう。
以後、福岡地区等でキャンペーンを図る。
旅館組合にも「入湯手形」の販売により、一定の収入が入る仕組みになっており、組合の財政を潤し、それがさらなる環境整備、キャンペーン費用に充当できるなど、好循環を形成している。
ブレイクは情報誌
1998年に福岡の情報誌旅行情報誌「じゃらん九州発」の人気観光地調査でトップに立った。それまで知る人ぞ知るという存在であったが、一気に人気温泉地として全国的に注目を集める存在となった。
今日における黒川温泉の爆発的ヒットの一大要因としてインターネットが挙げられる。というのも、テレビや雑誌などで頻繁に採り上げられる数年前には、もう一部の温泉ファンの間で「熊本の黒川温泉が一押し」と叫ばれて、掲示板のアンケートでは常に上位を占め、知る人には知る名湯となっていたからである。
癒しの温泉郷として
黒川温泉のまちづくりのスタンスは明確である。都会の生活に疲れ、温泉に「癒し」を求めて来る観光客にくつろぎを与え、リフレッシュしてもらうためにできる限りの演出を行うというものである。その手段として、「露天風呂」の整備や「樹を植える」「看板を取り去る」ことによる環境整備がある。一般論的にいうと、「癒しの里」というコンセプトを打ち立て、それにあわせた露天風呂等の大道具・小道具を配したうえ、「入湯手形」などの「ソフト」を活用するということになる。
新たな課題
現在地には拡張が困難な施設が多いことから、さらに川を上った東の地区等へ新たな施設を開設する等の事例がみられる。
現在では、「手形」による日帰り客で休日を中心に混雑し、本来のお客である泊まり客がゆっくり入れない等の問題も生じている。このため、立ち寄り型の旅行会社のツアー客には「手形」を販売しないという方針を打ち出すに至っている。
※昭和39年6月11日、南小国温泉の一部として国民保養温泉地に指定。

記事元:Wikipediaより引用

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