後藤氏を得たこと コンセプトをつくりあげた(正確には、つくりあげたコンセプトの成功に賛同し、他の旅館が同調した)後藤氏が旅館後継者として居た。当初は相当「変わり者」として見られたようだが、弾き飛ばされることはなかった。後藤氏は旅館の三代目で先代が実権を握っていたことから、旅館組合運営への参画はかなり後になってのことらしいが、結局は後藤氏の確立した「露天風呂」をつくり「樹を植える」ことにより「まち全体が癒しの空間を形成する」というセオリーにしたがってまちづくりを行った。 時代の波に乗った 後藤氏の慧眼があったとはいえ、温泉に癒し・情緒・雰囲気を求める時代の風に乗った。風に乗ってからも、マスコミの活用等、組合内に人材を得た。 手付かずであったこと 他の巨大温泉郷のように、高度成長期に部屋数拡張のための設備投資に走り、コンクリート構造物だらけ、そして巨額の借入金を抱えるということはなかった。このため、看板を除去するとした手入れはあったが、温泉地としての基本的な情緒・雰囲気が保たれていた。今日、低層でかつ20室程度までの旅館がお客に目が届き、食事・湯の案内等適切なサービスを提供できる規模といわれているが、ちょうどこの規模の旅館が多い。巨大設備を抱えていると売り上げを確保するため、客室定員の「回転」「稼働率向上」が求められ、必然的にエージェント依存にならざるを得ないといわれている。根本対策は、適正規模へのダウンサイジング(規模縮小)であろうが、巨額の借入金を抱えていると、壊すに壊せず、返済のために営業を続けるという矛盾から抜け出せない。お客の満足度を維持するためには絶えざる改修が必要で、そのために借入が発生する。・・・いつまでたっても借入返済のための営業という本末転倒の悪循環から抜け出せない。 なお、渓谷に面した温泉地であり、広い空き地がなく、大きな建物を建てることができにくかったことが、今にしてみれば幸いしている。 若手の存在 黒川温泉には婿養子が多く、昭和50年代はじめから他の地で育ってきた、行動力のある人材が複数入り込んだ。こじんまりとした温泉地ゆえ、そうした人材相互の交流が自然発生した。彼らが旅館組合を通じた改革の原動力となった。折しも各旅館は世代交代の時であり、若い経営者らが一致団結し、温泉街を盛り上げようとしたのも、功を奏したといえる。 外部資本の不存在=まとまりのよさ 渓谷の温泉地であり、土地が少なく、他の地から外部資本が入って来づらかった。その裏返しとして、同業者の結束は堅い。 (逆に、突出した存在・行動を許さないという一種の護送船団方式につながる弱さを内包しているといえなくもない)
記事元:Wikipediaより引用 |
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静岡県の飛図温泉の「飛図温泉」
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長崎県の小浜温泉の「春陽館」
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山口県の湯田温泉の「ビジネスホテルうえの」
ビジネスホテルなのに くつろげて 何だか ホッとするんです だから 毎回 宿泊するのが 楽しみです あたたかみ のある ビジネスホテルうえの です | |
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